額田王 お墓

日常
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2月15日、午後、万葉の歌人、額田王のお墓の事の情報が、思いもかけず入ったので、出かけることにしました。万葉集の女性の大歌人額田王は、スケールが大きく、大胆な発想で、大好きな歌人で、奈良に来てから、お墓を探したのですが、近鉄額田駅もあたって見ましたが、関係なく、それらしい場所を何か所か、周ったのですが、はっきりしないのです。お墓を移されたことがあったようなので、今回の情報が、一番、確証が近いので、情報を入手するや、すぐ出かけました。

場所は、植山古墳と云うとこで、近鉄橿原神宮で下車して、バスも数が少ないので、歩いて行ってみることにしました。明日香村方面に近いようでうす。本当に人気のない静まり返った地域で古代をしのばせます。思いもかけず、一人の学生さんに出会って、聴いて、植山古墳に行きました。この近辺は古墳群のようで、少し離れたとこでは、巨大な丸山古墳があります。やっと、植山古墳に行きあたりあしたが、額田王のお墓と思われるあたりが、発掘調査でビニールシートがかぶせられています。残念ですが仕方ありません。発掘が終了したら、再び、訪れたいものです。丸山古墳も見たかったのですが、少し距離があるので、もう遅い時間であきらめました。

熟田津にふな乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな  額田王の朝鮮出兵で、四国の熟田津

(にぎたず)から船で出兵するのを見送った場所です。天皇も貴族も集まった国家的な大事業に同行されたときの歌です。この一句だけで、額田王は、万葉の大歌人として記憶されるでしょう。

 にたつ

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